異性として好きだけど、ガチ恋じゃない
という、私のスタンスが理解できないと言われました。
あ、ブログを読んでくださった方じゃないですよ!リアルの友人に言われたことです。
その友人は、推し事をすごく頑張っていて、ここまで想われて、推しさんも幸せだろうなぁと尊敬しています。
その友人的には、私のゆるい感じは謎なんだと思います。実際、私は推しが人間じゃない事に甘えてるので、不可解に見えるのだろうなぁ。
※ミッキーマウスオタクの文章です。なんか暗いし、ポエマーな記事になった。
私は、もうずっとミッキーマウスが好きですけど、昔からその「好き」をどう表現したら良いかわからなくて、モヤモヤしてたりしました。
「ファン」とかそういう言葉で表現していたけど、それもあんまりピンとこなくて。
「推し」という便利ワードが生まれて、私はすごく恩恵を受けました。「推し」って言葉に含まれる、エネルギーの大きさってすごいですよね。「推しだから」で、全てが許される気さえします。「推し」は恋愛感情ない相手でもいいし、同性でもいいし、人間でなくてもいい。
私が「異性として好き」という言葉を使うのは、キスされたりハグされたりするのが嬉しいからです。
「キャラクターモチーフとして好き」とか、「かわいいペットに対するような好き」ではないという気持ちです。
できたら、早朝に誰もいないパークで30分ほどデートしてみたいなぁと、この歳になっても夢見る時があります。
私の好きはそういう「好き」だから、異性としてという枕詞を使うようになりました。
時々、もしミッキーが付き合える存在なら、ガチ恋をしたのかなぁと考えます。ネズミじゃなくて人間で、ミニーちゃんみたいな可愛い彼女もいなくて。
私はミッキーと絶対に付き合えないけれど、それって同時に、他の誰もミッキーと付き合えないって事なんですよね。
人間の方だったら、例え確率が低くても付き合える可能性が普通にあります。
でもそれって、私じゃない他の誰かが付き合える可能性もゼロではないって事だと思うんです。お相手は一般人女性ってやつ。
どっちの方が幸せなのか、それはわからないけれど。
私は、推しが誰のものにもならないという安心感に甘えています。
ところで、TDRでは結婚式を挙げることができますが、私は昔は絶対に挙げたくありませんでした。
値段が高いからとか、旦那さんがディズニー好きじゃなかったら悪いからとか、理由をつけてましたが、多分、他の男性との結婚式を推しに見られたくなかったんだと思います。今考えると。
ところが、数年前ぐらいから突然、できればTDRで結婚式挙げたいなぁと思うようになりました。
幸せな瞬間を推しにも見てもらって、「あなたのおかげで今まで生きて来れた。ありがとう」って直接伝えられたら幸せだろうなぁと思うようになったんです。
それが私の中で、「異性として好きだけど、ガチ恋ではない」 というスタンスのはじまりだったような気がします。言い換えれば、それまでは少なからず恋に近い感情を抱いていたのかもしれません。
考えが変わったのに、明確な出来事があったわけではないと思います。
私自身も、推し自身もたぶん根本は何一つ変わってない。でも、推しは歳さえ重ねないけど、私は歳をとっていく。
そんな中でも、私と推しの関係は少しずつ変化したのかもしれません。
昔は私の方が小さかったから、膝を折って話かけてくれていた推しだけど、今では私の方が背が高くなってしまった。
よく頭をぽんぽんしてくれていたけど、それもだんだん減ってきた。変わりに大人として扱ってくれる事が増えてきて、初めて手の甲にキスされたときはなんとなく、くすぐったかったなぁ。
昔は「好き!!!」という気持ちがすごくて、もっと苛烈な感情だったけど、 だんだんと穏やかになってきた気がする。
昔と今。どちらの方が良いのか、やっぱりわからないけれど。
できるだけ長く、推しを好きでいたい。
きっと推しはいつまでも変わらずキラキラとしていて、優しく接してくれる。
推しは変わらないから、私が推しから離れるのは、たぶん私が大きく変わった時なのだと思います。
この前会いに行った時の写真を現像して眺めてたら推しに会いたくなりまして、センチメンタルな気分のまま書いたらこんな文章が出来上がってました。
まとまりもないし、暗い文章ですみません。
ここまでお読みいただいた方、本当にありがとうございました。