推しと尊敬と憧れ
※書いている人の推しはミッキーマウスです。
※考えたことの記録。わりとどうでも良いはなしです。
今日、ちょっと驚くことがあったので、書きかけの記事を放置して、文章にしてみました。
昼休み、職場でアラフィフの上司とお話していたときのことです。お局様とかじゃなく、素敵なお姉さまで、尊敬できる上司です。
なんの話の流れか忘れたのですが、趣味の話になりました。「私は、○○のファンで~」、「私はライブが好きで~」というような、たわいもない会話。
私も「ミッキーマウスの追っかけをしています」ということを言いました。推しという言葉は、世代的にあまりピンと来られないかもと思ったので、追っかけという表現を使いました。そのお姉さまには、初カミングアウトです。
すると、お姉さまは言いました。
「あら、まぁこちゃん(私)、意外と自分への理想が高いわね」
最初は何を言われているのかわからず、「?」となっていたところ、そのお姉さんは更に続けました。
「誰かのファンになるってことは、その人のようになりたいってことでしょ?まぁこちゃんはミッキーみたいになりたいのね」と。
えぇーっ!? 私、推し(のように)なりたかったのー!? 初耳ー!!
そのお姉さんが、あまりに一般論のように言うんです。例えば「ペットは飼い主に似るって言うよね~」みたいな感じで。
でも私はその理論、初めて言われたぞ(一般論だったらごめんなさい)。
そのあとお姉さんは、みんなが百恵ちゃんの髪型にしたり、ピンクレディーのダンスを必死になって覚えたりしたことを話してくれました。最初はただ好きなだけでも、長く熱中できる対象は、次第にそうなりたいと思うようになるのだと。
なるほど、確かにその理論に乗っ取れば、ファンが対象に憧れてその人の真似をするのは、推しになりたいという図式に…なる……のか??それとは、また別なのでは…??
異性にも適用できるのかな……。
かなり範囲を広げて考えれば、私の妹ちゃんは「推しを尊敬できる。そういう人になりたい」と言ってたっけな。
他にも推しの趣味とかに感化されて、何かを始める人も、当てはまるかもしれない……でも、それは、推しの事を少しでも理解したい、好きを共有したいという気持ちな気がもする。
自分自身にも自問自答してみました。
私は「推しになりたいか」と問われると、なりたくないとは、正直、言えないと思いました。
私はとても運動音痴だから、あんなにダンスできるのは素敵だし、性格だってああいう風に優しくなれたらいいなと思います。
あと、ミッキーマウスってこの世の中でも、かなり上位に食い込むほど、愛されてる存在だと思うんです。それこそ老若男女に。
そんな風になりたいな、という気持ちはゼロではないと思うんですよね、改めて考えてみると。
でもやっぱり、ちょっと違和感のある理論のような気がするなぁ。
これは、少し前に拝見したブログにもあった、推しに対する感情が「好き」なのか「尊敬」なのかという話にも通じるのかな~と考えたりもしました。
「尊敬」しているなら、その人のようになりたいという気持ちが芽生えてくるのも、自然なことなのかもしれない。
でも、「好き」「尊敬」「憧れ」は、それぞれ別の感情な気もするなぁ。
ちなみに、その場にいた同僚に意見を求めた所、「確かに、推しを応援したり幸せを祈るのは、推しに夢を託しているからとも言えそう。その場合、自分にはできない事を推しに肩代わりしてもらってることになるから、間接的に、『推しになりたい』のでは?」とのご意見を承りました。
その理論も、ちょいと乱暴な気もしますが、言わんとする所は、わからなくもない…。うーむ。
私、何事も理屈っぽく考えるのが好きなもので、こういう事を延々と考えることに楽しみをみいだしてしまいます。
お姉さまの言葉は、単なるジェネレーションギャップとか、そのお姉さまの独自の理論で片付けるのが勿体ない気がしてしまいました。
でもやっぱり、私は推しのことが好きだけど、「推しのようになりたい」という感情はメインではない気がします。
…うーん、今日1日考えたけど、あんまりピンと来る答えが出なかったなぁ。
そんなこと、人それぞれと言ってしまえば、それまでなのですが。
「好き」という感情は、実に複雑ですね。
「推し」という言葉も、短い単語だけれど奥深い。
唯一わかったのは、お姉さまがやっぱり素敵な上司だったということでした。
ミッキーマウスのファンだと言っても、すごく理解しようとしてくれたし、優しい…。これからもついていきます!
ちなみに、その場にいた推しがいる人たち(ジャニーズ、2次元、宝塚など)は、「推しのようになりたい」派の方が少なかったです。
皆様はいかがでしょうか…??
良ければマシュマロ投げてください。
まとまりのない文章をお読みいただき、ありがとうございました!