夢と徒然

楽しかったことの記録とミッキーマウスとの思い出

推しと「中の人」の話

  

この記事は、私が15年ミッキーマウスを追いかけてきた中で、感じていること、そして自分への折り合いの付け方について書いたものです。つまり、個人の意見です。

 

※いわゆる、キャラクターの「中の人」という概念に大きく踏み込んだ内容となっています。

特に、キャラオタの方はご不快に感じられるかもしれませんので、少しでも地雷だと思われましたら、画面を閉じてください。

マジで炎上するんじゃないかと少しビクビクしてますが、あくまで個人の戯言ですので、何卒ご容赦ください。 ごめんなさい。

 

 

さて。

実はこの「中の人」についてのテーマ、いつかは書きたいと思っていたことでした。

しかし、自分の中でなかなか上手く言葉にしづらく、考えがまとまらず記事が書き上げられずにいました。大変センシティブな内容ですし。

 

そんな中、このテーマで質問をいただきました。

コメントって、すごく手間がかかりますし、ハードルが高いですよね。感謝です。ありがとうございます。

執筆中の記事を書き上げることで、お返事としたかったのですが、ちょっと本当にうまくまとめることができず、時間がかかってしまいそうです。

そこで、一先ずいただいたコメントへのアンサーという形で、自分の考えを言葉にしてみようと思います。

 

まずは頂いたコメントを引用させていただきます(少しこちらで手を加えています)。

 

 (前略) 

 

前々からmanicha さんに伺いたいと思っていたのですが、「中の人との折り合いをどう付けていらっしゃるか」ということでした。

ここで自分の立場を説明しないとややこしいかと思うので自己紹介しますと、二次元キャラにガチ恋しています。そのガチ恋相手は、公式でTwitterが動いているキャラクターのため、声優さんのみならずTwitterの中の人も存在するキャラです。 なので、ミッキーさんを異性として好いていらっしゃるmanicha さんに伺いたかったのです。

manicha さんが、ミッキーさんを俳優として、どちらかというと3次元と見ていらっしゃることは知っています。なので、私とは立場が異なりますが、manicha さんの立場で「中の人のことをどう思い、どう折り合いをつけているのか」をお伺いしたく思っていました。  

 

 (後略)

 

…はい。

なんというか…すごく、わかる…。もちろん、仰っていただいているように、私と質問者様が置かれている状況は大きく違います。でも通ずるものはある気がしてしまう……。 

 

実は、この質問をいただいてから、質問者様のブログも拝見いたしました。ストーカー気質ですみません!お気持ちを知った上でお答えしたかったのです。

で、思ったのですが、質問者様、推しさんが2次元であることに、苦しく感じられている時があるのかなぁと…思ってしまったんです。そうでもなかったらすみません…!そう感じたので…。

 

実は私も昔は結構、ミッキーマウスを推していくこと(当時は推すという言葉はなかったので、追っかけをすること)が、すごくしんどかった時期があったんです。なので、質問者様もそうなのかなぁと思いました。

ただ、質問者様は私と違って「ガチ恋」でいらっしゃるので、そこに関してはあまり参考にならないかもしれません。ただ、「推しが二次元でしんどい」ということと、「推しにガチ恋でしんどい」というのは、分けて考えられる部分もあるのではないかなとも思うんです。

どちらにせよ、私のこのお返事が見当違いだったら申し訳ないのですが、こういう人もいるんだな、という気持ちで読んでいただければ幸いです。

あと、めっちゃ長くなりそうです。すみません。 

 

 

私が過去にしんどかったのは主に以下の2点です。

①推しは本当はこの世には存在しないこと

②「中の人」の存在と、それを揶揄されること

ここに折り合いをつけてから、すごく楽になりました。

正直、冗長な自分語りになりそうですが、私の場合をお伝えできればと思います。

 

 

 

 

①推し本当はこの世に存在しないこと

まず、私たちの推しは確かに人間ではありませんよね。

ただ、「人間ではないのだから、この世に存在していない」と考えるのは、辛くないですか?

 

私はミッキーマウスは人間ではないが、この世に存在している」と考えています。あっ、狂ってると思わないでください!

 

私がミッキーマウスを好きになった頃、学校ではジャニーズの大ブームでした。クラスメートから「ミッキーなんて存在しない」ということを言われて、涙が出るほど悔しかったこともあります。キャラクターが好きなんて、子どもっぽい、現実を見ろと言われたこともあります。

 

そんな中、私の考え方を変えたのが「ロジャーラビット」というディズニー作品でした。

1988年公開の、実写とアニメーションを融合させた作品です。アニメーションキャラクター(トゥーン)が、実際に存在していて、人間と共存しているという設定なんです。この時代になかなか先進的です。人間側にトゥーンに対する差別的な意識があったりと、なかなかヘビーな設定もあります。

ちなみに主人公(人間)の弟は、トゥーンに頭上からグランドピアノを落とされて死んでます(事故ですが)。でもトゥーンはグランドピアノが落ちてきても死なないんですよね。アニメだし。そもそも根本が私たちとは違うし,常識が通用しない。けど、同じ世界で生きているのです。

…と、いくらでも語れそうなのですが、長くなるのでこの辺にしておきます。

 

とにかく、私はこの作品で、ミッキーマウスが存在していてもおかしくないのかなと考えるようになりました。少なくとも、公式側はそれを提示してくれている。じゃあ、それに乗っかっていこうと思ったんです。

 

パークに行ったら会えるし、私がミッキーマウスの事を固くなに「いない」と思う必要もない。ジャニーズを好きになるのと何ら変わらない。私の好きにな人は、たまたまトゥーンなだけ。そう思うようになりました。

 

質問者様の推しさんは、公式Twitterも動いているようなキャラクターとのことですので、恐らく公式側も2次元、3次元の境目をぼかしていきたいのではないでしょうか。開き直ってそこに乗っかっていくのも、1つの手かもしれません。

 

ちなみに、私がミッキーマウスの存在を肯定して、次に来た辛さは「推しと同じ時間を重ねていけない」ことでした。

どれだけ推しと触れ合っても、それは刹那的で、私だけが想い出を蓄積させているのではないか感じてしまっていたからです。次に会ったとき「この前のことなんだけど…」か物理的に出来ないのが辛かった。

これに関しても、ある出来事が切っ掛けで吹っ切れたのですが、ちょっと今回の話とずれるので、またいつか書きたいと思います。

 

 

 ②「中の人」の存在と、それを揶揄されること

「中の人」という言葉は、一般的には声優さんを指す気がします。ただ、私は声優さんとミッキーマウスを同一視することは、あまりないんです。

日本のミッキーマウスのお声は、もう何十年も同じ方が務められており、なんと本職は大学の教授という異色の経歴の方です。普通にTwitterアカウントもお持ちです(大学の広報などをされています)。

ただ、ご本人がミッキーマウスとして公の場に出てくることはほぼ無いので、結び付きにくいのかもしれません。

海外のミッキーマウスの声優さんがインタビューに答えているときも、キャラクターというよりは、実在する自分の相棒みたいに話されることが多いので、声優さん=推しの大切なパートナーという感覚が大きいですね。

 

 

そして、それよりも深刻なのが、もっと直接的な「中の人」の事です。いわゆるアクターさんです。

 

例えばこの質問。 

 

「ミッキーの中におっさんが入ってたらどうすんの~?」

 

……これ良く言われます。別にどうもしないんです。私にとっては、めちゃくちゃどうでもいいんですよ、そんなこと。

というか、こういう事聞く人って、アイドルが好きな方に「付き合えるわけでもないのに、虚しくない?」とか言うと思います(偏見)。こういう事を聞いてくる人って、「中の人なんていません!」って私に答えてほしいみたいなんです。

でも私はそう答える事が、どうしてもしんどかった。長年、自分でもうまく説明できない辛さでした。

 

確かに、ミッキーマウスに面と向かって「前見えてるの?」と言ったり、でかい声で「着ぐるみのクセにキレあるなーw」と言ったりする奴は、滅びるべきだと思います。

でもそれは、最低限のマナー話じゃないですか。

舞台とかでも、カーテンコールで役者ご本人のお名前を叫んだりしませんよね。

 

向こうはプロで、「演じて」くださってる方です。その方に対する敬意を込めた「中の人などいない」。これは私もすごく、同意できます。

 

でもあの質問は違う。

「中の人がおっさんだったら、セクハラでしょ?嫌でしょ?」とも取れる質問です。

そんなことが目的な訳ないじゃないですか。その質問に敬意はないし、それに対して「中の人などいません」と答えるの苦しかったのだと、今では気がつきました。ほんとうは、「中の人はいるけど、そんな人じゃない」と言いたかったんだと思います。でも、やっぱり推しの特性上それも言いにくい部分もありますから。

 

でも「中の人」がいなければ、私の推しはどうやったって存在できない。死ぬほど努力してくれる方がいるから、推しは輝ける。それは、アイドルに、曲を提供する方や衣装を作る方がいるのと同じではないでしょうか。

私にとって、「中の人」の存在を否定することは、推しの存在の否定に近かったんだと思います。結果、勝手にしんどくなる面倒なオタク…。

 

公式もダブルブッキングしないように工夫したり、「中の人はいない」をキッチリ守ってくれているし、その姿勢はとてもありがたいです。もちろん今後もそうして欲しい。

ただ、別に中の人をタブー視してもいないんです。ネットで普通に時給載せてキャラのオーディションの募集してますし。それも、そのままでいいと私は思ってます。

 

なので、「中の人、すごくダンスうまいし、努力してるんだろうね」みたいな発言は、私は全然不快感ないです(もちろん人によりますよ!絶対NG、地雷って人も少なくないと思います)。

 

だからといって、別に実際にミッキーマウスを前にして、「中の人」について意識することはありません。私の前では、ミッキーはミッキーでしかありませんし、詮索もしません。

というか、実際に推しを目の前にすると、「かっこいい!!!!好き!!!!!」しか考えられなくなります。

 

ただ、無理に否定するのは止めました。 

「中の人」はきっとミッキーマウスのことを愛していると思います。

たくさんの人に愛されて存在できるなんて、私の推しはとても幸せな存在だと思えるようになりました。

 

推しがこの世に存在しないことや、推しに中の人がいること「理解する」ことと、推しの存在を肯定して「信じる」ことは両立できると、私は思っています。

無理に中の人から目を背ける必要はないですし、中の人の存在を肯定しても、推しの存在は微塵も揺らぎません。

もちろん、その逆で無理して認識する必要もないです。私の場合は、「中の人」を尊敬し感謝することによって、辛さが和らぎましたが、質問者様が必ずしもそういう状況ではないのかもしれませんので。

今も十分、推しさんのことを愛していらっしゃると思うので、あまりキャラクターということにこだわらず、お手紙とかプレゼントとかもしてあげてほしいなと、個人的には思います。

 

 

上手くまとまりませんでしたが、以上が私の推しに対するスタンスになります。

思い返すと、私も、結構黒歴史な時期がありますね~。推しのことが好きすぎてどうにかなっていた時期もありました。

 

なんだかご質問の主旨と回答がズレてしまった気がしなくもないですが、これが今の私の文章力の精一杯です。。ごめんなさい。。

言うべきではないことも、ぶちまけた気がするので、ご不快に感じられた方がいましたら大変申し訳ございませんでした。

 

 

最後になりましたが、質問者様と推しさんに幸がありますように!!

死ぬほど長い文章をお読みいただき、ありがとうございました。