推しの人生と推し事
※ミッキーマウスオタクの文章です。
妹ちゃんの口癖は「B君、今日も生きていてくれてありがとう」です。
私よりも少し早く若手俳優という名の沼に浸かっていた妹ちゃんは、いつもいろいろな事に感謝して推し事をするので私も見習わないといけないなと思ってます。
妹ちゃん曰く、「B君は未だ成長を続けていて、追いかけているとこちらが驚くような変貌を遂げていることがある」「B君は人生の経験を積み重ね、演技という形で私たちに見せてくれる」。
それはなんとなく私にもわかります。
私もA君を応援するようになってから、「◯◯に関しては以前××という役でもやったことがあったから~」とか聞くときもあるし、「◯◯の役には思い入れがあって~」みたいな過去の想い出を聞くこともあります。
人生の中での経験の積み重ねが今のA君を作っている訳ですよね。
A君もB君もプロだし、出会ったときには既に新人というわけではなかったので、ある程度完成されていたのですが、それでもどんどん変貌していく。これってすごい事だと思います。
私にとっては、この感覚は結構カルチャーショックだったんです。
当たり前のように思えて、これって人間特有の現象だと思います。
というのも私の推しのミッキーマウスは刹那的な存在なんです(ミッキーマウスだけじゃなくキャラクター全般はそういう子多いと思います)。
1日にパレードやショーを見ても、同じ彼かと問われれば難しい部分です(こちらは同じとして接します)。
以前、パレードを見ていたら突然大雨が降ってきたことがありました。雨の中、明るく躍り続けるミッキーマウスに感動した私は、お礼を伝えたいとその足でミッキーの家に向かいました。
そんなとき「さっきすごく大変だったね」と言うと伝わらない可能性があるんですよね。
「さっき、◯◯のパレード見てたんだけど、途中で雨が降ってきたよね。その中でもミッキーが元気に踊っててすごく感動した!」とやたら説明的な感じになります。これはもう仕方ないです。彼は忙しいので……。
素敵な時間を共有しても、厳密に言えば彼の中では積み重ならず、その場だけの一瞬の煌めきである。それがキャラクター達だと思います。
だからこそファンイベントで歴史を振り返る特別なショーを見たとき、「このダンス覚えてる?」「あのときは楽しかったなぁ!」みたいな懐古する台詞で涙腺が死にました。彼のなかで想い出になっていること、そこに私がいたことが嬉しくて嬉しくて。
そんな推し事を15年も続けていたものですから、A君を推しはじめてカルチャーショックと共に、楽しくて仕方がありません。
だって、A君の人生の中の経験の劇場で一緒に過ごせてるんですよ!?すごくないですか???
好きな人の人生の中で僅かでも同じ時間をすごせる。にんげんってすげーー!!!
でも同時にこれはしんどい面もあるな…とも思います。
だって、推しから片時も目を離したくなくなっちゃいません??私はなる。
推し事に義務感感じ始めたら良くないみたいな事よく聞きますけど、義務というより、見なくちゃ!見たい!!という使命感が生まれちゃいそう。
あと、自分の好みじゃない作品に出てしまったらすごい辛いのでは?というのも思います。
昔の妹ちゃんがそうだったんですよ。好きではない作品でも、見ないという選択肢は持ちにくくてしんどそうだった。
当時は「義務じゃないのだから無理したら本末転倒だ」などとわかった風に言ってましたが、今ならしんどさ少しわかった気がするよ…。
見ないうちに推しが進化したらその時の推しはその瞬間しか見られないし。思い出話が語られて着いていけないと悲しいし。。
ミッキーマウスの場合だと、すっぱり見ないという選択肢を取ればOKなんです。
私もまぁ人間ですから、好みはあります。
昔、一般的には大絶賛されていたショーなのに、私はまっっっったく好みじゃないという事件がありました。
その場合も自衛したらいいだけ。そのショーが好きでなくても、他のショーを見たら良いだけ。
しかもそのショーが終われば、「はいおしまい」で、推し自身が懐かしむ事もない。
それを物足りないと感じるのか、気が楽と感じるのかは、きっと人それぞれです。
毎度言ってますが、どちらが良いという話ではなくて、それぞれに違いがある。
ただ、新しい世界に飛び込むといつも新鮮な発見があり、それは楽しいですね!
朱に交われば赤くなれじゃないですけど、それぞれの流儀を理解して、これからも推し事をしていきたいものです。
キーワードは無理しない!!
できるだけ楽しく推し事しよう(戒め)。
長い文章お読みいただきありがとうございました!
何かございましたら、お気軽にこちらまで。