夢と徒然

楽しかったことの記録とミッキーマウスとの思い出

慈伝の山姥切長義くんに思うこと

 

※長義くんに夢を見ている

※考察ではない。思ったことをダラダラ書いてるだけ。

 

 

は~~、慈伝~~~(号泣)

 

 

ちょっと今さらかもしれませんが、刀ステ慈伝のお話です。

 

慈伝、今までとはテイストが異なるので好みは別れそうですが、個人的にはすごく良かったです。 

 

 

でも、今回は私の中で噛み砕くのに時間が掛かっていました。初見の時、あまりのしんどさに何かもう全部記憶飛んだ…。

なので、自分の中の感情を整理するために文章を書いてみようと思います。

 

ほぼ山姥切長義についてしか書いてません(全体の感想も別途書くつもり)。頭が良くない上に自己解釈多めなので、解釈違いの方がおられたらすみません。ご了承ください。

 

 

 

 

 

てかさ~~、今回(も)、とにかくチケット取るのが大変で観劇する回数が少ない上にライビュが遠い!!!!!!ずっと悶々とした日日でしたが(されど営みは続く)、ライビュで一先ずは自分のしんどさに向き合うことができたので良かったです。ライビュ、強制的に1番メインの部分の定点になる&俯瞰で見れるという利点があるのだなぁと改めて感じました。

 

 

今回気がついたのですが、私はわりと何でも加点方式で見るタイプみたいです。万一、ちょっと「うーん?」ってなるポイントやシーンがあったとしても総合的に見たら100点満点で100億点!!!!!みたいな。

でも今回はちょっと悲しさを引きずっちゃうシーンがありました。悲伝の時もこんなんならんかったのに。

 

 

そのシーンってのが、「山姥切国広と山姥切長義の手合わせ」です。ほんとにそこだけ。そこに至るまでめちゃくちゃ楽しく見てたのに、そこで「うわ~~!?」ってなった。キャラ解釈がどうこうとかの不満があるわけでは一切なく、単純にあのシーンがあまりにも自分に刺さりました。はじめて見たとき悲しすぎて目を開けてられなかった。直視できなかった。

 

 

 

最初何がしんどいのか自分でもわからなかったのだけれど、改めて考えると「表裏一体と言っても過言じゃない、深い結び付きを持つ二人」が、「自らのアイデンティティに関わる部分」のために「相手を否定するしか術を知らず」、否定することで「結果として自分自身も苦しみ、尚且つ「その状況を作り出したのは他者であり本人達のせいではない」というシチュエーションにすこぶる弱いみたいです……。

しかも手合わせのシーンではわりと直接的な「暴力」(刀剣男士に暴力も何もないかもですが)や「痛み」が伴っていたのがしんどかったのかな。殴り合いを経て絆が深まるみたいなシチュエーション、普段は全く気にならないのになぁー!自分でも発見だ!これだから物語を見るのは止められない。

 

 

これは全くの余談ですが、私がこのシチュに辛さを感じるのは多分(というか絶対)、推しであるミッキーマウスとオズワルドの関係性にクソデカな感情を抱えてるからですね。

実際、長義が実装されたときも「オズワルドじゃん」って感じたもんなぁ。

 

 

もちろん、他の作品と同一視してみるのは個人的にはナンセンスだとも思っているので、実際に慈伝を観てるときに、「オズミキじゃん~!!!」って思ってたわけではないです(それはそう)。

ただ、「メガネキャラに弱い」とか「才能があるのに無気力な主人公が努力型のライバルに影響されて徐々に情熱を取り戻して行くのに弱い」みたいな刺さりポイント(性癖?)って誰しもあると思うし、今回の慈伝の上記シーンは、私のそれをちょっと普通ではあり得ないくらいピンポイントで踏み抜いていったのだと思います。

 

 

つまりは私、結構長義くんに肩入れをしたくなってしまうんですよねぇ。長義くんの存在って審神者の皆様に取ってもかなりスタンスが別れる所だと思うのですが…。「偽物くん」発言が無理って方もいらっしゃるイメージなんですけど、私はどうしても長義くんをただ意地の悪い性格で片付けることができなくて。

 

 

私は刀そのものの来歴とか歴史的背景にはめちゃくちゃ疎くて(造形の深い方も多いと思うのですが…)、私が長義くんに関して知っていることと言えば、公式のTwitterでの紹介、いくつかのボイス、回想での発言だけなんですよね。もちろんそれは他の男士にも言えるんだけど。

山姥切長義に関しては、説も多種多様だしそこを理解している方が彼の本質に迫れるのだと思います。

でも私はそこの理解も薄いし、写しと本科っていう関係も人間である私には理解が難しい。それでも長義くんに対して何か放っておけないような感情を抱いてしまう。これはもう性癖だ……。

 

 

 

 

今回のステでの山姥切長義に関して。

まず前提として、ステをずっと見てきた側としては、どーしてもまんばちゃんに感情移入しやすいのではないかなと思ってます。主人公ポジだし。

私もやっぱり「あの悲伝を経験したまんばちゃんがその後何を考えていたのか、どう過ごしてきたのか」は気になるし、実際に落ち込んだり心痛めている様子を見ると、頑張れ!!って応援したくなっちゃう。いつか三日月とまた会って欲しい。

 

 

そういう意味では、引っ掻き回し役となる長義くんに対してすごく配慮のある脚本だったと思います。

「布バサ」しかり、まんばちゃんとのファーストコンタクトでのちょっと情けない「えぇっ!?」という反応しかり、人間味というかどこか憎めない感じがあった。

周りの男士達も、長義側に立ってくれる子も多くて。思えば長谷部も「頃合いを見てまた来てもらう」という意思を見せていて邪魔者にはしてないし、同田貫も長義くんの人格を否定しているわけではない。

 

原作の回想って一対一で話すのが基本だし、ボイスも主に審神者に向けたものなので、長義くんはまんばちゃんに対して棘はあるけど、周囲の男士に対しては外面良く振る舞ってるようなイメージを勝手にしてたのですが、そんな姑息な性格じゃなかったですね(笑)。

ちゃんと自分の中の譲れない点は周りにも主張する子だった。もちろん言い方はアレとしても、そういう芯の通った子なんだなぁと新たな発見。

 

なるほどと思ったのが、大般若のいう「ここに来たときは多かれ少なかれ皆こうだった」という台詞です。

超個人的な解釈ですが、顕現したてでまだ経験が少ない子は「自己」を来歴や生い立ちに求めるしかなくって、意固地になりやすいのかなぁって思いました。人間も様々な経験をすることによって、自分というものを確立すると思うのですが、それは刀剣男士達も変わらないんじゃないかな。

生まれてからだんだん精神も成熟する人間とは違い、刀剣男士は突然「心」というよくわからない大きなものを与えられてしまう。でも経験や思い出はまだ何もない。だから、それまでの来歴に固執しなければ自己の確立に不安なのかなと。逆に、本丸で日々を過ごすことによって、そこだけにすがらなくても良くなってくるのかな。

 

虚伝での長谷部と不動や、ジョ伝でのまんばちゃんは正にそれかなぁと思います。

特に長谷部の成長よ…。すごい変化じゃん。

本丸で紡いできた物語が、彼らの自信や人格に影響を与えるのは純粋に嬉しいし、その「物語」こそが、いわゆる個体差ってやつなのかなぁと。

そう考えると、各役者さんたちの個性が役に乗ってくるのも納得というか。役者さんもステ本丸(またの名をこん丸)で「物語」を生きてきたんですもんね。大包平とかも今までの流れがあるから納得できる。刀剣乱舞のこういう所、本当に面白い。

 

 

ただ、長義くんの態度が思春期や、ある種の中二病的な「そういう時期」扱いを受けてたのは不憫だったかな(笑)。長義くん、絶対それ以上の重い気持ち抱えてるんだけど、彼の性格上それを言ったりはしないだろうし。審神者側から見ても彼の本意を推し量るのは難しいよね。

多分、虚伝の時は本丸自体の歴史が浅くて対処法がわからないから、みんなが右往左往していたんだろうな。これだけ沢山の子が顕現していたら、新入り加入時のお決まりの通過儀礼なんだろうな~~、胸アツ。

 

 

そんな長義くんが「本科であること」に拘ってるのに対し、まんばちゃんは既に物語があるから……。「偽物くん」と言われてへこみはするものの、「写しじゃなかったら三日月を失わなかったかも…」っていう感じなんだよねぇ。写し<<<<<<三日月。これもステまんばちゃんならそうだろうなぁと思うと同時に長義くんはつくづく時期が悪かったなと。それは三日月を失ったばかりのまんばちゃんにも言えるけど。まさに表裏一体。

 

 

そして私の問題の手合わせシーン。

それまではまんばちゃん、わりと楽しそうに戦ってたように思うんです。刀剣男士、程度の違いはあれど概ね戦闘が楽しそうだし。

でも長義くんに向かい合ったとき、立ち上がろうとする長義くんをねじ伏せようとする姿に、すごく…ゾッとして……恐怖を感じました。相手を殺しそうな雰囲気すら感じた。この時まんばちゃんが何を考えていたのか…未だに底知れずに怖いです。

 

長義くんの血を吐くみたいな「くそっ…」って台詞で悲しさがマックスでした。もういいのにって思ったけど、同時にここに拘らないと長義くん自身どうにもならないんだろうなぁとも思うし。どちらにも進めない閉塞感みたいなものを凄く感じた。まだこのシーン直視できない…。表情みるの辛い…。

 

 

しかもその後のまんばちゃんの、脱け殻のような喪失感のある表情。結局どちらも虚無になってしまうの…。つらい……。

 

 

作中で「山姥切国広を否定することは、その本科である山姥切長義自身も蔑ろにすること」という主旨の発言がありましたが、これが正に私の二人の山姥切に対する解釈と同じで変な声が出そうになりました。でも長義くんもそんな事はわかってそう。でも頑なになるしかないのかなぁ。

 

だからあの手合わせ後、同田貫をはじめみんなが寄り添ったり、長義くんが「山姥切国広」って読んだのは嬉しかったしホッとしました。もちろんまだまだこれから色々あるだろうし、長義くんがまんばちゃんを認めることだけが彼の成長とは思わないけど、少しでも苦しくなくなればいいなぁ。

 

 

 

ここまで思い付くままダラダラ書いてきましたが、結局の所、私は長義くんの気持ちがよくわからない部分も沢山あるけどどうしても目が離せなくて、ステを見てきた身としてはもちろんまんばちゃんや三日月が大好きで、その部分がぶつかっていたのが1番しんどかったのかもしれない。

 

結論、みんな幸せになってくれって感じですね!!!!!

 

 

 

いや~~ここまでダラダラ書いてきたけど、恐ろしいくらいに中身が無いですね!!!すみません!!!!

でもようやく自分の中で1つ区切りをつけられた気がするので、全体のちゃんとした感想も書いていきたいと思います。多分…書きます……。

 

 

読んでいただきありがとうございました!

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