推し事=生きること
こんにちは。
またまた日が空いてしまいました。ほぼ1ヶ月ぶりかな?
年度末に向けて忙しさが増し増しなので、チケットの先行を忘れかけたり、円盤の予約を完全に忘れてしまっていたり、新幹線のチケットを間違えて取ったりなど、自分でもびっくりするようなミスを連発しておりました。
そもそも自分が処理できるキャパには限界があるのだな…
ちなみに、推し事以外で何をしていたかというと、弊社と絶賛揉めてました。
というのも突然、
弊社くん「来年度からお給料さげま~す!!」
私「は??????」
て事がありまして。もちろん全社的なことなので部署の全員が対象ですが。
別に自分が優秀だとは思ってないし、お給料って労働の対価だから、その内容と時間に対し適切な額が支払われていれば全然問題はないんですよ。
私は今年度、異動したのですが、それも自分の今後(キャリア)について考えてのことで、お給料の額面だけでは図れないことがあるのも分かってるつもりです。でも突然年収の1割に届きそうな額がなくなるのはやっぱり大きいし、じゃあ元の部署に戻れば?と言われても、長期キャリアを考えれば今の部署で積める経験も捨てがたい…。
長期的に自分のためになること考えるの必要が出てくる年代に突入する反面、今の推し事が楽しくてその楽しさは"今"しかなくて、時間は巻き戻せないから、数年の我慢が最早ツラいんですよね。
お給料減ります!って元気よく宣言された時も、1番最初に思ったのは「え、舞台なら◯公演分じゃん」「え、舞浜なら◯回いけるじゃん」だったのでオタクは本当にダメだな…。
でも、やっぱ推し事も自分にとってはとても大切なものの一部で、生きてる意味の一つだからさぁ。
転職の検討を始める同僚も多い中、何がベストか考える日々です。自分のこれからの人生なのか、推し事のために休みを取りやすい環境なのか。推し事が人生そのものになっては本末転倒だけど、でもやっぱり生きることと近い。
以前から言い続けてますが、本当に推しを推せていることって奇跡ですよね。この時代を生きる推しが、その職業についてくれたことも(私の場合は日本にパークがあることも)。出会えたことも。自分自身の回りの環境、例えば仕事や体調や周囲の理解などなどが整っていることも。どれか1つでも欠けていたら今の環境ではないんだもんなぁ。
今も未来も大切にできる選択をしたいなぁ。
そういう年齢になってきたのだなぁと、しみじみと考える今日この頃でした。
でも正直、「今後のキャリアが」とか意識高めなこと言いましたが、お給料なんて1円でも多く欲しいし、
本当は不労所得が三兆円ほしい!!!!!!!
あー、石油王がその辺歩いてないかなぁ!
お読みいただきありがとうございます。
ちょっとちゃんとした文章書かなきゃと思ってブログ更新の腰が重くなりがちなので、もっと気負わず更新したいと思います。
何かございましたらこちらまで